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| ●創団〜初舞台 |
♪我が胸に燃立つ炎、あかつきの星のように希望明るく、さあ友よ、まゆ上げて 明日を語ろう。若き日の夢、青春悔いなし〜♪ −我が胸にー 昭和50年6月、三重県合唱祭での初めての「うたおに」の歌声です。 団員の一人一人、誰もが熱き想いで初舞台に立ちました。 団長にはスナック「カシミア」の当時のバーテンダー看板お兄さんの西田氏が 満場一致で選ばれいよいよ活動が始まりました。 練習会場は津駅裏の大川学園。そういえば面白い人がおりましたなー。 第一回の練習会に、何と大阪の堺から駆けつけて彼曰く「堺から毎回練習に駆け つけます!」一同大拍手。しかし、二度と現れなかった。 |
| ●「うたおに」応援団 |
「うたおに」応援団もすごかった。スナック「カシミア」のママは実は津に来るまでは FM東京の音楽プロデューサー。そこに出入りする面々が、ほんまにおもろい人達で、 スナック「なぎさ」の”お母さん”。炉辺焼き「海賊」のヤーさんのような大将。東海ラジオ、 津放送のえらいさん。有名なところではハムさんこと作曲家の服部公一氏。そしてマロ さんこと川喜田さん。 何を応援してくれたのかは今でもよく分からないけれど、皆さん本当にお世話になりま した。 |
| ●第1回うたおに音楽会 「顔見世興行」 |
ともかく、スナック「カシミア」は我々の溜まり場と化し、上記の”懲りない面々”と訳の わからん話に花が咲き、たまに夜を徹してうたおに講義をし、たまではないけれど、 やはり夜を徹してマージャンをし、そうこうしているうちに、第1回音楽会の準備が、 何故か不思議にも整いました。 大門周辺の飲み屋にはそれに全く似つかわしくないポスターがベタベタ張られ、 一種異様な空気が漂っていたことを覚えております。 「おい、祝い酒持って店じゅうで駆けつけたるでな!!」 「あ、はっ、はい、ありがとうございます」(ええんかいな、ほかの客帰ってかへん かいなー) 「顔見世興行って、あんたら歌舞伎やるの!えっ、違うて?ほんなら何するの?」 「合唱です」「合掌って何おがむんかいな?」(これは作り話)「合唱?歌うのかいな。 訳のわからんのやろなー。まあええわ、教養つけて男はんに威張ったろ(多少作り 話)」−上記登場人物の暖かい励ましー 団員も30人代となり、しかし、声量は50人前という大よぼり合唱団の第1回音楽会 が、副題も「顔見世興行」と銘打って、いよいよ開催のはこびとなりました。 さて内容はと言っても、これはもう今の「うたおに」では考えられない程度でしたが、 ただ、私たちは精一杯でかい声をはりあげ、客そっちのけで舞台を楽しみ、実に 愉快な音楽会でした。 特に印象に残っていることといえば、例の応援団がちゃんと来てくれて演奏が終了 するやいなや、舞台に一升瓶は並ぶわ、握手攻めにあうわ、何故か野菜をプレゼント してくれるわで、もう大変な騒ぎだったことを覚えています。 |
1988年5月30日発行 「おにっ子通信第15号」(当時の団報)より抜粋 |
第1回うたおに音楽会 「顔見世興行」 場所 三重県文化会館 おにの子のうた(大中 恩) 青猪の歌(田中利光) 日本の四季のうた 筑後川(團 伊玖磨) |
| ■関連情報■ □三重県合唱祭の記録□ □うたおに音楽会の記録□ |
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